ユダヤ教徒もしくはユダヤ人(Judeans、略称"Jews")は、イスラエル国を定住の地とした民族である。彼らのほとんどはイスラエル人であるが、広義には同国への亡命者や国教ユダヤ教[注 1]を信奉する人々を指す。サウスパークにおいてはイエス・キリストやブロフロフスキー家、サウスパークユダヤ教コミュニティなど、関連の深い要素が複数存在している。
また、差別的な言動が多いエリック・カートマンが迫害や差別の対象とする事物の1つでもある。
サウスパークにおいて登場するユダヤ人は、大抵が超正統派[注 2]と呼ばれる伝統に非常に忠実な宗派である。しかしながら留意すべきは、世界に存在するユダヤ人のほとんどはこの宗派に属していないという点である。ユダヤ教の一派であり、いわゆるカルト集団と見なされている超正統派の起源は、15、16世紀にウクライナやポーランド共和国を中心に起こった宗教運動であると言われている[注 3]。こうした極端な外見や信奉姿勢は、移住者がポーランド貴族の模倣から始めたことにより、ユダヤ教徒の典型として流布した。
歴史[]
聖書に記述される物語は、古代エジプト人の一部にとって唯一の指導者モーセが人々を導いて、同国から集団移動させたことに始まる。
考古学上の事実では、ユダヤ人の先祖たる民族はレヴァント鉄器時代におけるユダ王国(南王国)[注 4]とイスラエル王国(北王国)[注 5]の国家分裂により発生した。統一イスラエル王国から分裂した北王国は紀元前721、2年にアッシリア王国によって滅ぼされ、対する南王国はアッシリアの従属国となる。
民族の滅亡は辛くも乗り越えたユダヤ人だが、紀元前597~586年にバビロン人らの迫害に遭い、エルサレムの聖所[注 6]を破壊された末に居住地を追われる。その後、彼らが移住先として選んだのが現代のシリア・アラブ共和国、イラク共和国、イラン・イスラム共和国であった。
しかしながら、キュロス2世[注 7]がアケメネス王朝[注 8]ペルシアの初代国王に即位すると、紀元前538年にユダヤ人たちは祖国への帰還が可能となる。彼らの祖国は再び一大国家の従属国となったが、待遇や社会的地位は以前よりもかなり向上しており、国名を「ユダヤ属州(Province of Judea)[注 9]」と改めた。
その後、ユダヤ属州はマカバイ戦争[注 10](紀元前165、4年)やユダヤ人とローマ人との戦争[注 11][注 12]という悲惨な出来事を経験したが、いち国家としての体裁は保ちつづけていた。
しかし一方のユダヤ人は、紀元後70年から135年まで続いたローマ帝国[注 13]に対する反乱の結果、再建した第二神殿[注 14]を破壊されたあげく国民としての権利を剥奪されて奴隷となり、ヨーロッパや北アフリカ各所に離散せざるを得なかった。
さらに東ローマ帝国[注 15]による宗教弾圧にさらされたユダヤ人たちは、自らの信奉する宗教とは相反するキリスト教の信仰を強制される。彼らは信仰心を守るために再度移住や亡命を図ったため、祖国であるはずのイスラエル王国からはユダヤ人がほとんど消失した。
1948年、現代のイスラエル国が成立する。これにより多くのユダヤ人が帰国したため、同国においてユダヤ教が最も信仰される宗教となった。
関連項目[]
- サマリア人
- ユダヤスカウト
- ユダヤロボット集団
脚注[]
訳注[]
- ↑ "ユダヤ教". Wikipedia.
- ↑ "超正統派 (ユダヤ教)". Wikipedia.
- ↑ 川名 隆史.18‒19世紀のポーランド・ユダヤ人におけるアイデンティティの分裂(1).東京国際大学論叢,2020,第5号.PDF,(参照:2021年12月11日07時03分 UTC)
- ↑ "ユダ王国". Wikipedia.
- ↑ "イスラエル王国". Wikipedia.
- ↑ "エルサレム神殿". Wikipedia.
- ↑ "キュロス2世". Wikipedia.
- ↑ "アケメネス朝". Wikipedia.
- ↑ "ユダヤ属州". Wikipedia.
- ↑ "マカバイ戦争". Wikipedia.
- ↑ "Jewish–Roman wars" (言語:en). Wikipedia.
- ↑ "ユダヤ戦争". Wikipedia.
- ↑ "ローマ帝国". Wikipedia.
- ↑ "第二神殿". Wikipedia.
- ↑ "東ローマ帝国". Wikipedia.